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 特に何の揉め事もない江古田高校では、ほんの些細な出来事でもまるでお祭りのように騒ぎ立てることが多々あった。刺激のない学校で、刺激を求める生徒は僅かな事件も見逃しはしない。そして祭った後は、まるで何事も無かったように日常に戻っていく。その変わり身の早さには脱帽する程だ。
 だから、転校生がやってくる。という出来事で、学年中が騒ぐのも当然と言えた。生徒の間では独自のネットワークが存在しているようで、教師は何も喋っていないというのに、転校生がやってくる当日には殆どの生徒がその事実を知って囁いていた。「なんか凄い人らしいよ。」
 当然その輪の中には快斗も含まれていた。こういった華やかな話題には、誰よりも敏感で情報も持っていたため、多くのクラスメイトの質問攻めにあっていた。

「なあ黒羽、この転校生って女?男?」
「うーん。俺が聞いた話だと男らしいぜ。」
「うっわー、マジかよっ!女じゃねーの。」
「その転校生ってさ、格好良いい?」
「さあ?人それぞれじゃねえかな。」
「みんな凄い凄いって言ってるけど、何がそんなに凄いか知ってる?」
「あー、まあ会えば分かると思うよ?」
「え、黒羽会ったことあんの!?」
 へへへ、と照れくさそうに快斗は頬を掻いた。

「実は、俺のいとこなんだよね。」
「えっ!黒羽君のいとこ!?」
 それじゃあ格好悪いわけないよねー。とクラスの女子が騒ぐ。そうして快斗の周囲には更なる人だかりができたが、それ以上の情報は知らない言えないと言い張った。

「今日は、みんなもう知っていると思うけど、転校生を紹介します。」

 始まったHR。教室の誰もが心を躍らせドアを凝視するなか入れと言う担任の声と共に転校生が足を踏み入れる。その転校生を見た瞬間、誰もが声を失い、同時に凄いという噂の正体を知った。

「初めまして。九堂新一です。」

 にこやかにそう自己紹介した彼の左頬は目を覆いたくなる程の焼け跡がくっきりと残っていていた。













「で、どう?日常に戻った感想は。」
「まあまあだな。思った以上に混乱は少なかったし。」

 放課後に差し掛かり、転入一日目も漸く無事終わりを迎えようとしている。新一の席は、担任の配慮もあったのだろう、快斗の隣となった。

「俺がいとこだってみんなにいったからかな?」
「はあ?なにもう言ってんだよ。」
「まあいいじゃん。どうせすぐに知られるし。多少ゴタゴタはあったけど、またこうやって学校にも通えるんだしさ。」
「まあな・・・・。」

 無意識のうちに己の左胸を触る。あの時、新一の心臓をねらった銃弾は、確かに彼の体を貫いた。そしてそれとほぼ同時に、建物が崩落した。

「生きてるんだよな。俺。」

 そう言って窓の外の景色を眺める新一の頬には、その時の焼け跡がくっきりと残っている。燃えさかる炎の中、死に物狂いで新一の元へ駆けつけたとき、彼の頬はすでに焼け爛れていて、顔以外の多くの部分も炎にあてられ、とても生きているとは思えない状態だった。その時胸部が僅かではあるが上下していることに気が付がついた。
 それからは、全く覚えていない。気が付けば快斗は隠れ家におり、新一は何本もの管に繋がれベッドに寝かされていた。後で寺井に聞いたところ、快斗自身傷だらけになりながらも、隠れ家で待機していた寺井の所まで飛んできたそうだ。同じく傷だらけな新一を腕に抱きながら。そうして新一を簡易ベッドに連れて行くと、それを確認した後に安心したのか崩れるように快斗も意識をとばし、丸一日目を覚まさなかったと寺井は言っていた。

「そうだよ。そんで、損した分の時間を取り戻すんだ。これから。」

 教室に居残っているクラスメイト達は、今は遠巻きに二人の様子を伺っている。専ら、彼らが気になるのは新一の火傷のことだろう。
 あの時、新一を貫いた弾丸には確かに劇薬が含まれていた。そうして今なお、新一の体内で蠢き続けている。均衡された力と力。毒と再生。毒を盛って毒を制す、とはよく云ったものだ。新一の体の中では毒による細胞破壊と副作用による驚くべき再生力により、体内に毒がありながら今尚毒に侵されていないという俄には信じられないことが起こっている。そんなことが起こるなど何万、何億分の一程度のほぼ無きに等しい確率だ。今生きていることは奇跡です。と寺井はいっていた。

「てか、お前さっき放送で呼び出されてなかったか?」
「あーあれ。別にいいよ。どうせくだらないことだろうし、新一と喋ってる方がおもしろいし。」
「バーロー。」

 呼び出された理由は何となく想像できる。今日一日の新一のクラスでの様子についてだろう。上手くやっていたのかだとか、クラスメイト達の反応はどうだっただとか、そういった下世話なことなら、わざわざ新一との会話を中断させるほどのことではないと両断する。

「それよりさ、今日の夕飯なに食べたい?」
「さっぱりしたヤツ。そうめんとか冷麺が食べたい。」
「おっけー。」

 じゃあ行こうかと腰を上げる。あー疲れたと伸びをする新一のその当たり前の動作さえ、奇跡なのだと快斗は知っている。体内で保たれている均衡がいつ崩れるか、それは寺井にも解らないという。毒が再生がどちらがどちらを侵すのか、それすらも不透明なのだ。今こうして会話を楽しんだり、学校に通ったり、夕飯を食べたり、呼吸をしたり、肩を並べて歩いたり。そんな当たり前のことが、何よりの幸福だと。

「あ。」
「ん?」

 突然あげられた声に振り返ると、何故だかきらきらした目で見つめられた。
(あ。やばいこれは)

「今日推理小説の新刊の発売日なんだ、キッド。」
「へー、よかったね。」
「うん。で、キッド。」
「・・・ナンデショウカ。」
「俺、今、お金持ってないんだ。」
(あ。やばい)
「お金持ってないんだ。」

 まるで人懐っこい子犬のような目でそう言われれば、例え演技だと知っていても拒否することは不可能だろうと頭を抱える。

「分かった買ってくよー。」

 そうして頭では夕飯の食材をいかに安く買うか、必死に考えを巡らせた。こうした悩みにもまた小さな幸せを感じつつ、手にとったその腕は優しく、生を証明しているようで何故だか心が温かくなった。