双子の









 
 怪盗1412が予告状を出した。でも俺には関係のないことだ。



 まだ仄かに温かい缶コーヒーで冷えた指を暖める。窓の外は重たい雲が空を覆っていたけれど雪が降る気配はまだ無く、今年はまだ一度もお目にかかっていないそれにもの悲しい気がした。
 ドアが開いた。そこから顔を覗かせたのは馴染みの刑事だった。相変わらずの親しみやすい彼が今は申し訳なさそうに表情を曇らせている。

「休日なのに呼び出しちゃってごめんね。寒いだろうから、さ、中にどうぞ。」
「ありがとうございます。」

 そう言って窓から離れ、わずかに残っていたコーヒーを喉に押し込む。丁度いい苦みが心を落ち着かせた。嫌な予感がする。本当は来たくなかったということを綺麗な猫で覆い隠して、言葉を続ける。

「今日は突然どうしたんですか。」
「あぁ。工藤君、怪盗KIDのことは知っているよね?」
「怪盗KID…?」

 瞬き一つ考えて答えを見つける。手配書の名前より通り名が有名なのは、それだけ世間の関心が高いからだ。しかし同時にいらない情報まで引っかかった。

「しかし彼は泥棒ですよね?僕にいったいどんな関係が?」

 高木刑事は苦笑を零すとどうぞと中へうながす。廊下とは違い、部屋の中はむせかえるような暖かさだった。いや人の熱気のせいかもしれない。

「高木刑事、あれは…。」

 視線で示した先には大の大人、しかも刑事がそろいもそろって各々が机にへばりついて何かを一心不乱に見ている。なんなんだ。あそこに加われと言うようならどうやって断るべきだろうか。
 視線に気が付いたのか、目暮警部が振り返り高木刑事の隣で立っていた新一に苦虫を噛んだような顔をした。
「おお工藤君!いつも本当にすまんね。君ばかりに頼ってはいけないと思うのだけれど…。」
「いえ、僕は大丈夫です。それで目暮警部、それはいったい?」
「…実は怪盗KIDの暗号が解けないんじゃよ。」
 デスクの上から1枚のハガキ程の紙を取ると、それをさしだしてきた。
 渡された紙はどうやらその予告状のようだった。それも暗号付きの。清潔感のある白い予告状には一目見ただけで興味をそそられるものがある。目の端で次々と光が散る。

「警部、何か書くものを貸してもらえませんか。」

 受け取った鉛筆でさらさらと予告状に要点を書き込んでいく。ギリシャ神話をモチーフにした暗号は、詳しい知識が無ければ解けないだろう。だが難解な暗号も一つ一つ糸をほどいてやれば、やがて一本の線になる。
 さっきまで机にへばりついて予告状と睨めっこをしていた刑事たちも手を止め呆然と見ていたが、気にしている暇はなかった。やっと捕まえた尻尾を逃すわけにはいかない。







「警部。」
「あ、あぁ。なんだい?」
「この予告状には今日午後7時30分、東の方。つまり東の空からやって来て、東都メリズビルで開催されている宝石展の目玉であるブルーストーンを頂戴する。と書いてあります。」

 なんでもない、楽しかったのは最初だけで法則さえ掴んでしまえばあっという間だった。色鮮やかな時間はあっという間に終わってしまう。わずかな高揚も、過ぎてしまえば何も残らない。
 もう用はないだろう。ちらりと時計を見ればもう一時間もたっていた。今日は早く帰りたい。それは胸騒ぎというほど大それたことではないけれど、やる気を喪失させるには十分なほどの理由だった。もう大好きな事件も謎も今日はいらなかった。だって今日はあの子の大切な。

「それでは僕はこれで……。」
「ちょっと!まだ暗号は解けないの!?工藤とかいう探偵も来たんでしょ。さっさとしてちょうだい!」
「み、美縞 ( みしま ) さん!待ってください…!」

 けたたましい音を立ててドアを開け突然乱入してきた女性は喚き散らしながら目暮警部に詰め寄っていった。よく見ればまだ若く、肩までのびたブラウンの髪が今は左右に散乱している。顔は整っていて目はややつり目できつめな顔立ちだ。彼女が美術館の関係者だろうか。
 その彼女の横で宥めているのは、青年だった。おおよその日本人とは思えないくっきりとした顔立ちで、ブロンドの髪から考えても外国人かハーフだろう。彼の後からも何人かぞろぞろとついてきた。

「落ち着いてください。暗号ももうすぐ解けますから…。」
「その件ならもう大丈夫ですよ。暗号は工藤君が解いてくれました。」
「えっ!」

 目暮警部の言葉に反応したのは意外にも青年の方だった。そういえば、彼を何処かで見た気がするがどこだったか記憶を辿っても頭がよく回らない。仕方がないので窓の外を見た。相変わらずの灰色だった。

「工藤君がつい先ほど解いてくれたんじゃよ。」

 その言葉で弾かれたように一気に視線が集まる。居心地が悪い。同時に鼻を射すような臭いを感じ眉をひそめる。それは嗅覚で感じるようなものではなく、特殊な状況下にいた新一が己のみを守るために身につけた防衛本能でもある。感覚的な、第六感で感じるもので。この臭いを感たときは必ず事件が起こる。

「目暮警部、彼らは?」
「おお、紹介が遅れたね。彼女らは東都中央メリズビルの社長のご家族と秘書の方々じゃよ。ああ、だが彼は違う。彼は…。」
「どうも初めまして、工藤君。白馬探といいます。」

 にこやかに握手を求めてきた彼に、ようやく記憶の回路が繋がる。そうだ、彼は。

「白馬警視総監の、息子さんですか…?」

 そういうと白馬は苦笑した。確か彼も同じように探偵だったはずだ。

「どうしてここにいるんですか?」
「いろいろありまして、僕はキッドを追っているんです。」

 そういえば二課に若い探偵が入り浸っているという話を聞いたことがある。彼がそうなのか。傍目からわかるほど、その顔には希望と自信が漲っている。

「工藤君もキッドの現場に来るんですか。」

 ふるふると首を振る。泥棒に興味はないし、何より今日は気が乗らない。例え何かが起きると判っていても、これ以上首を突っ込むのは嫌だった。

「僕が行っては迷惑だと思うので、遠慮しておきます。」
「いえ、そんなことはありませんよ。」
「そうよ!あなたも探偵なんでしょ!?怪盗KIDからブルーストーンを守って頂戴!!」

 そうヒステリックに喚く女性――確か美縞と白馬が呼んでいた――が目暮警部から離れ、今度はこちらに詰め寄ってきた。胸ぐらを掴み、目はわずかに充血している。

「ちょっと姉さん、何をそんなに必死になっているんだよ。」
「そうよ、美縞さん。」
「それにキッドは盗んだ宝石もちゃんと返してくださるのですから、そんなに心配しなくてもよいのではないでしょうか。」

 美縞にわずかに遅れてきた他の三人が一生懸命に彼女を宥める。それと同時に、いっそう鼻につく臭いが強くなる。やっぱりこれは。

「ねえ!聞いてるの!?」
「…分かりました。もし、二課の方が許可してくれたら、ですけど。」

 その言葉に周りの人みんなが目を丸くする。正直な高木刑事の顔には意外だとはっきり書いてあった。他部署の干渉を嫌う二課の刑事たちなら拒否するだろうと考えていたが、言ってすぐに後悔する。彼らの顔には一様に驚きと、僅かばかりの期待があった。若き有能な探偵が二人いれば二課の悲願、怪盗KIDを捕らえることができるかもしれないと。慌てて撤回しようとするがしかし後の祭りで、白馬は関係者であろう先程の4人を紹介しはじめた。先ほどの女性はやはり寺門美縞というそうで、メリズビルの社長夫人のようだ。その他に義母と婦人の弟、そして社長の秘書。

 預かり知らずのところでどんどん話が進んでいくのをぼんやりと見つめていた。目の片隅に映る空は、雲の切れ目からわずかに太陽の光が零れている。雨が降ればいいのに、と思った。そうすれば怪盗KIDは今日の盗みをやめてくれるんじゃないかと馬鹿なことを考える。そんなこと、ありはしないと頭の冷静な部分で答えは出ていたけれど。



 怪盗1412が予告状を出した。そんなこそ泥に文句を言ってやりたかった。



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08.0125