夢見るエミュー
刹那が部屋を訪れたのは、ちょうどロックオンが風呂から上がったときだった。 浴場のセンサーが故障した、と言って左手で着替えを掴んでいた刹那に、じゃあどうぞ、と風呂を貸したのが少し前。 刹那は元から無口で、しゃべるときも言葉は短く、それでいて大事なところをすっ飛ばしてくるから困る。さっきの会話でも、自室の風呂に入れない、とも、ここの風呂を貸してくれ、とも言っていない。 今ではそんな刹那の話し方にもなれたし、言葉の意味を理解するまでに至ったけれど、出会った当初は刹那が何を伝えようとしているのか解らず、何度も聞き返していた。その度に刹那は面倒くさそうに眉を寄せたので、だったらもっと要点をまとめて話せと言ったが、改善されることは今に至るまでなかった。結局、こちらがどうにか理解するしかなかったのだ。 だがそれは、刹那の生い立ちにあったのかもしれない、とソファーに深く寄りかかりながら思い返す。 脱衣所であらためて見た刹那の身体の傷に、ロックオンは言葉を失った。 手足には無数の切創があり、肩口には弾痕のあとまで残っていて、さらに傷は胴体にまでおよび、腹部を深く抉ったような濃い傷跡まであった。ぱっと見ただけだったけれど、刹那の身体はとても10代の少年のものとは思えるものではない。 どういった幼少期を過ごせば、こんな傷だらけな身体になるのだろうか。 刹那の過去について、ロックオンは何一つ知らない。肌や髪の色から中東出身だろうと想像がつくが、それだけだ。どこで過ごし、誰と話して、何をしていたか何も知らない。 ロックオン自身、己の過去を刹那に話していないのだから、それは不公平なことではない。むしろ守秘義務があるのだから、知らなくて当然だ。けれど。 (・・・なんだかなー) 刹那の過去を知って、現在を知りたい。傷口を癒して、溢れんばかりの優しさを与えてやりたい。 そう思ってしまうのは、不自由のない生活をしてきた人間の驕りだろうか。 ふと、手にしていたプライベート用の端末から顔を上げる。刹那が風呂に入ってからずいぶんと時間が経っていたが、未だに上がった様子はない。 まさかのぼせているんじゃと心配したその時、タイミング良く刹那がロックオンを呼んだ。 「・・・・・・・。」 呼ばれて浴場のドアを開けると、何とも言い難い格好の刹那がロックオンに背を向けて立っていた。心なしか、わずかに見える頬が赤い気もする。 「手伝ってくれ。」 言葉が足りない、言葉が。けれど刹那が伝えたいことは十分解った。 刹那の今の格好はおかしなものだった。下はしっかりズボンを履いていたが、上は身体をちゃんと拭かなかったせいか、黒のタンクトップが肩から上で丸まって止まっていて、なんとか着ようと思ったのだろう、左腕だけ強引に袖に通された状態だった。 つまり、この丸まったタンクトップを降ろすのを手伝ってくれ、と言うことだろう。 ここまで脳内で言葉を補足するのに、かかった時間は瞬き二回分。それだけロックオン自身が刹那の話し方に慣れたということだ。 「ちゃんと身体拭いてないからこうなるんだろ。タオル借りるぞ。」 身体にはまだ水滴も残っていて、このまま着ても湿って気持ち悪いだろう。 刹那が頷いたのを確認して、足下に落ちていたタオルを拾う。背中を拭こうとして、はっと手が止まった。 右側の肩甲骨の数センチ下に、鋭利な刃物で傷つけられた切創の傷跡があった。それがあまりに痛々しくて、目を背ける。 「・・・・痛くないのか。」 「なにがだ。」 「背中の傷。・・・結構深いだろ。」 つい口に出して、途端に後悔する。こんなこと、軽々しく訊いてはいけないというのに。 「ああ、それか。」 刹那は興味なさそうに、左腕を動かした。左腕だけ通した格好がつらいと意思表示され、手にしたタオルで傷跡に触れないように慎重に背中を拭く。 「羽を抜いた痕だ。」 突然言われた刹那の言葉に目を丸くする。言葉が足らないどころか、脈絡もない。 水滴を拭き取ってタンクトップの丸まりを解くと、刹那は面倒くさそうにロックオンに一瞥をくれ、左手でタンクトップをまくり上げた。 「この痕は羽を抜いた痕だ。」 確かに背中の傷跡を指して刹那は言う。 「これは確か俺が九歳のころ、抜いた。思ったよりしっかり生えてて、抜くのには苦労したし、抜いたあと熱が下がんなくて仲間にも迷惑をかけた。ああ、この右腕に生えた羽は抜くのは簡単だったけど、利き腕だったからしばらく銃も握れなくてこ困ったなあ。この痕は、抜いたあと酷く膿んで、大変だった。それにこっちは――」 「刹、那?」 なんだロックオンと、振りかえて刹那は。 そのままバタリと倒れた。 * * * 「ただ単にのぼせただけだから、涼しいところで寝かせてやりな。」 慌てて抱えて行った医務室で言われたことは、はじめにロックオンが懸念していたことで、とりあえず大事でなかったとほっと胸をなで下ろす。 そうしてひとまず刹那をロックオンの部屋に連れ戻して寝かせ、刹那が起きないように気をつけて髪を拭く。猫っ毛な刹那の髪は、乾かさずにして寝れば次の日凄いことになってしまうのをロックオンは知っていた。 (羽を、) 髪を乾かしながら、けれど刹那の言葉が頭にこびり付いて離れない。 きっとあれは刹那の内側にあったものだ。軽々しく聞いていいものでなかったし、話していいものでもない。なのに、踏み込んでしまった。刹那はそれをどう思うだろうか。 おれはいったい何をしているんだ。思わず嘲笑がロックオンの口から零れる。さっきはあんなに知りたかった刹那の過去の、一端を知る切欠となるものが手に落ちてきたというのに。いざそれを目の前に物怖じするとは。 (おまえのそれはエゴだ。手を伸ばしているつもりで、いざ手を伸ばされた瞬間ぱっと手を引いて、突き落とす。痛みを伴わない関係は無いというのに、おまえは痛みを怖がっている。) そう言ったのは、誰だった? その後、目を覚ました刹那に、脱衣所でのことを言うと、覚えていないとあっさりと言われて複雑な心境になった。なおかつ羽なんて人間に生えるわけないだろう、大丈夫か、と逆に心配されて、なんだかなあとちょっと前とは違った思いを乗せて呟く。 そうして、刹那がぽつりと零した「神じゃあるまいし。」という言葉は、新しいミッションを伝える端末の着信音に飲み込まれてロックオンの耳に届くことはなかった。 080404 |