しあわせと呼びます







カタカタとキーボードをたたく音が、部屋に響く。心地よいまどろみの中、刹那はその音に耳を傾けていた。不規則に弾く音は、鼓膜を快く揺らし、まるで子守歌のようで眠気を誘われ、刹那は瞼を開けられないでいた。
子守歌というのを、刹那は長い間忘れていた。戦場では横になって目を瞑り、身体を休めることを睡眠と呼んでいて、こうして無防備に誰かに背を預けて眠ることは、一度だって無かった。全身を緊張させ、わずかな物音でも目を覚まし、いつでも戦闘できる状態を保つ。それがあたり前だった頃、子守歌は必要なかった。歌う人もいなかったし、聞かせる人もいなかった。
そうして記憶の奥に埋もれていった子守歌を、なぜ今思い出したのか、刹那は解らなかった。不規則なこの音は子守歌などに似てもにつかないものであったし、それ以前にこれは歌ですらない。
ではどうして、昔の泣きたくなるほど懐かしいメロディーを思い出したのだろう。ここには昔と同じ物なんて何一つありはしない。重く冷たい銃も、身体のサイズに合っていないコートも、瓦礫と化した家並みも、なにも。
まとまらない思考の中、刹那は頭の上に優しく置かれた温かい塊を感じた。

(―――ロックオンの、手。)

温かいのは、ロックオンが普段付けている手袋を外しているからだ。そういえば、愛用の手袋に穴があいたから、応急処置として縫いあわせとくかとロックオンが言っていたのを思い出す。縫い物なんてやったことが無いと言っていたが、手先の器用な彼なら難なくできるだろう。
繊細な指先が気になって、何度か手袋の外されたロックオンの手を盗み見ていたこともあった。日に当たることの少ない指は吸い込まれるほど白く、褐色の刹那の指とは似ても似つかなかった。その違いは単に人種の違いだけでなく、その手で何をしてきたのか、どう生活してきたかの違いに思えて、その度に刹那は自分から目をそらしてしまう。
同じ人殺しの手でも、刹那とロックオンのでは、根本から違う。奪うだけの手のひらと、優しさを与える手のひら。そんな温かい手のひらが今刹那の頭を撫ぜているということに、泣きたくなるほどの温かい感情に身体が満たされる。
その感情を押しとどめて、刹那はゆっくりと眼を開けた。



「悪い。起こしちまったか。」
端末から視線を外し、どこか緩んだ瞳でロックオンは刹那に声をかけた。問題ない。そう言おうとした刹那を、端末を閉じたロックオンは再び頭を撫ぜることで制す。
「まだ寝てていいんだぞ。」
そう言われても、一度目が覚めてしまえばそう簡単に眠れるものではない。身体を起こそうと力を入れると、後ろからロックオンが逃がさないと言わんばかりに抱きついてきた。 抗議の意味を込めて、ロックオンを睨む。そんなことをする価値など、己には無いのに。刹那の睨みを無視して、ロックオンは首元に顔をうずめながら抱える腕に力を込めた。

「俺、今すげーしあわせ。何でだか分かるか?」
「…知らない、離せ。」

「刹那がいるから。」

一瞬意味が分からず、動きが止まった。それを気にもせず、ロックオンは言葉を重ねる。
「オフにこんなに一緒にいれたこと、初めてだろ。また明日からミッションやら整備やらで、別行動になるんだし、今のうちに刹那補充ー。」
言いながらぎゅっと抱かれ、ようやく硬直から立ち直った刹那は先ほどより力を込めて暴れた。全く訳が分からない。顔に熱が集中していくのを感じ、いよいよ実力行使に出ようかと腕を上げる。

「ッロックオン、いい加減はな――。」

そうして上げた右腕に違和感を感じ、視線を向ける。見ると、小指から、結ばれた赤い糸が伸びていた。反射的に糸の先をたどると、満面の笑みのロックオンと目が合った。

「うんめいのあかいいとー。」

顔をほころばせながら右腕をあげたロックオンの小指にも、刹那と同じように赤い糸が結ばれていた。きっと刹那のと繋がっているのだろう。

「…馬鹿じゃないのか。」

精一杯の虚勢で、悪態を付く。咄嗟に、糸が切れないように上げた右腕を降ろしたことは、ロックオンにはばれただろう。
だって、ロックオンの温かい手は、変わらずに刹那を抱いていたのだから。
誰かにこうやって抱きかかえられたのは、初めてだった。もしかしたら、遠い昔、忘れてしまった過去に、同じように優しい誰かにされたこともあったかもしれないけれど。

ふと、なぜ子守歌を思い出したのか、分かった気がした。
眠る刹那の横で響く、聞き慣れた音。温かく包み込んでくれる、大きな手のひら。安心できる、ひと。
それは、在りし日の日常に、とてもよく似ていた。






080531