日溜まりのうた
うまく説明できるか分からないが、と前置きをして、刹那は話しだした。 「例えば、グラスに注がれた水のように、誰もが少なからずそれを持っていて、だけど当然それは有限で。俺はきっとそれが極端に少ないんだ。逆にロックオンはそれが多い。だから、みんなに与えることが出来る。・・・俺にも。」 でも、と刹那は言葉を詰まらせる。元々語彙の多くない彼は、思っていることをうまく言葉に変換できずに苦しんでいた。思いを言葉にするのが難しいのは僕もよく分かっているから、焦らずゆっくりと刹那の言葉を待つ。 「でも、結局はそれは有限で、限りがあるから。与えてばかりじゃ、いずれ底をつく。」 誰かが片付け忘れたグラスを手に取り、刹那はゆっっくりと傾けた。 「グラスの大きさは人それぞれで、俺はきっと極端に大きいんだ。与えられても、いっぱいにならない。ロックオンが与えるたびに、俺のグラスは満たされて、ロックオンのグラスは減っていく。」 傾けられたグラスの水がゆっくりと刹那のグラスに注がれる。僕はそれを見て、間違っていると思ったけど口には出さないでおいた。刹那が自分のことを話すことはほとんど無いし、なによりぼおっと注がれる水を見る刹那の顔が、まるで泣いているように見えたから、黙って言葉の続きを待つ。 「それならそれで、いいんだ別に。いずれロックオンも俺をかまうのに飽きるだろうし。そうなれば、俺に与えた分もいずれ誰かから与えられて、元通りになるだろうし。・・・ただ、与えられすぎるのが、怖いんだ。もしグラスがいっぱいになったら、溢れてしまう。」 刹那のグラスはすでに容量を超え、ぽたぽたと水が溢れ出てテーブルを濡らしている。 「溢れたらそれっきりだ。今まで循環していたものが回らなくなる。零れたら、もうグラスには戻らない。減っていくだけで、いつかは枯れ果ててしまう。」 刹那が傾けていたグラスから最後の一滴が零れ落ちる。波紋が水面を揺らしたが、それはすぐに消えて、辺りは静寂につつまれた。 「溢れそうになるんだ、グラスから。」 しばらく経って、再び刹那は口を開いた。そしてじっと下を向きながら、呟いた。 「―――優しさが、溢れそうになる。」 ふっと口元をゆるめる。なんだかんだ言って、刹那は素直なのだ。ただ世間を知らず、どうすればいいか知っていてもそれが正しいのか解らないだけで。そんな刹那に僕が出来ることと言ったら、ひとつしかないじゃないか。 「刹那はどうしたいの?」 「俺は・・・。」 刹那は顔を上げて、まっすぐと僕を見た。大きな瞳は不安そうに揺れている。 「俺は、ロックオンが俺に与えてくれたものを、返したい。少しずつでも、溢れる前に。」 よくできました。僕は刹那の頭を、優しく優しく撫ぜた。 ロックオンにとって刹那は、都合のいい、無欲で愛を知らない子どもなのだろう。全身傷だらけで、夜も満足に眠れない、かわいそうなこども。ならば愛を与えよう。この、世界に見棄てられた憐れなこどもに。 それは、純粋な優しさでないことをロックオンは気づいているのだろう。大人は狡いんだと言っていた、彼なら。 刹那も無意識の内に気づいている。だからそれを優しさと呼ばずに、語彙の少ないながら、数多の喩えをを用いて説明したのだろう。 ふと、これはこれでちょうどいいのかもしれない、と思った。 ロックオンは与えるばかりで、誰からも受け取ろうとしない。誰かが幸せになるのが自分の幸せだなんて、まさか本気で思っているわけでもないだろうに。 たくさん、与えられれればいいんだ。刹那はロックオンが考えているより、無知でも無関心でも無い。足りない者同士、補い合えばいいんだ。刹那は少しずつ、普通のこどもらしくなっている。嬉しいという感情も、苦しいという感情も、少しずつ少しずつ芽生えている。その様子を肌で感じて、僕はそれだけで心が温かくなった。 「アレルヤ。」 素直に撫ぜられていた刹那が、眼を細めた。 「やさしいな、アレルヤ。」 あまりにきれいに笑うから、僕は言葉を忘れてただ見入ってしまった。 「ねえハレルヤ。優しさってなんだと思う?」 ――いきなりなんだ。 「僕、少し勘違いしてたかも。」 優しさを定義するなんてこと、誰にも出来ないんだ。 08.0419 |